つれづれなるままに。

本日7月7日からブログを公開出来ることが自分としては嬉しくて仕方がない。

 

「ブログを書こう!」と思ったのは2015年の1月。本日は2016年の7月7日。1年6カ月も時間がかかった。

 

自分は何かを人に伝えたい、自分が思った考えたことを外に発信したいと思うことがずっとあった。

 

でも、私は「いったい何をどのように相手に伝えたいのだろう」と思ってそこから足が動かなかった。

 

難しい、何を届けたらいいのだろう、どんな文だったら人が読んでくれるのだろう。面白いことが言えない…。

 

 

書くなら自己満足ではなく誰かに何かを考えてほしい、同じことで悩んだ人が居たなら他の人はどう考えるか知りたい、自分はこう考えたけど違う見方があるのかもしれない。書いたら人からフィードバックがもらえるかもしれない。

 

とりあえず…書くしかないよね。

 

では、さっそく何について書こうか。

最初はシンプルに今まで自分が思ってきていて、それを解消するために最近始めたことを書いていこうと思う。

 

それは、「自分のことなのに自分事に思えない」現象だ。

ニュースで起こる事件や事故に、災害や、海外でのニュースなどがどれも今一つ自分と関係があることのように思えないことだ。

 

ニュースの例をひたすら挙げてしまったが、それだけではない、例えば隣の家の佐藤さん(仮名)が昨日交通事故にあったと聞いても自分は慌てるだろうか、ということだ。

 

私は自分自身を自分のコミュニティ範疇以外のことには希薄な生き物だと思う。

 

他の人にも似た傾向はあるのかは分からないが、自分と関係がないもしくは物理的に遠いと親しみを感じず関心を持てないというのはあると思う。

 

先ほどは、隣の家の佐藤さん(仮名)の例を挙げたが、それが自分と一番仲が良い太郎くん(仮名)だったらどうだろう。

 

恐らく自分は慌て、驚き、すぐに病院に行くために準備をするだろう。

そう、「仲が良い」というバイアスがあるだけで、自分事だと思い、感情が揺れ次の行動を考えるのだ。

 

自分が遠いとは思いつつも、大事だろうなと思う出来事に出会った時に自分がしていることは、それを「自分の周りの出来事に置き換える」ことや、「手元におけるものなら手元に置いてみる」ということだ。

 

ページをめくる論文が重たいときはそれを書いた作者にフォーカスして人の出来事や住んでいる場所を調べる。

 

さらに最近自分が実際にしてみたのは、地図を購入した。地図を買ったのは海外で起こるニュースが近くに感じられると思ったからだ。実際良い。

 

皆さんもぜひ試してみてはいかがだろうか。