映画『ペイ・フォワード 可能の王国』を観て
ペイ・フォワードの一昨日の深夜1時頃から観てしまいました。
どなたかに薦められていたのをふと思い出して借りてきたものです。
私もここで『ペイ・フォワード』しようと思います。
この映画は「許しforgiveness、可能impossible、そして人の善意と暴力がテーマ」の作品です。(映画監督の振り返りまで見てテーマ性がここまではっきり分かれている作品だったのかと思ったので敢えて書きました。)
私がこの映画で感動や心を動かされる場面では特に上の2つ「許しforgiveness、可能impossible」でした。
この話は時間軸が2つに分かれているのですが、私はそのうちの1つだけを追っていこうと思います。
またネタバレを多少含むため、観たいなという方は自己責任でお願いします。
結構知られている映画なのでネタバレというのが適切かは分かりませんけど!!
自分の中で気になってメモした言葉とともにざーっと振り返りたいと思います。
この作品は、主人公の11歳の少年のトレバーが社会科の授業課題のテーマ
“Think of an idea
to chang our world
and
to put it into action"
「世界を変える方法を考えそれを実行してみよう!」
について彼なりに解釈し、行ったのが『ペイ・フォワード(pay it forward)』「次に渡せ」です。
やることは簡単で、自分以外の3人の人たちに善意・厚意を行います。
そしてその人たちに『ペイ・フォワード』することを約束していき、善意・厚意が広まっていくという考えです。
トレバーの考えは授業中に発表し、クラスからの反対の声を受けます。
「
シモネット先生:みんな君の考えがユートピア的すぎるという。
トレバー:“完ぺきな世界”みたいな?
シモネット先生:ああ
トレバー:だから?
シモネット先生:どうしてそんな考えを思いついた?
トレバー:だって…」
そのあとのセリフをトレバーは語りませんが続きは「世の中はクソだから。」
です。
彼がなぜ自分自身をとります環境をクソだというのか。
それは彼自身の生い立ちからでした。
アルコール依存症を脱しようとしている母親アーリーン、同じくアルコール依存症で父親に暴力を振るって家を出て行った父親を家に持った子どもです。
アーリーンは息子を愛しますが、昼はカジノ、夜はストリップバーのようなところで働き、家に帰るのは遅く、トレバー自身は家事や母親を守ろうとする成熟した面と年相応の少年の純粋さを持ち合わせた子どもです。
また彼がラスベガスの外れに住んでいて、街の中心の繁華街と外れの貧富の差が激しく、
目に見える地域に住んでいることも彼が世の中に対してクソだと期待をしていないことに関係しています。
『ペイ・フォワード』を思いついたのも上記したアルコールや麻薬といった中毒性のあるものに頼らざるを得ない傷付いた大人たちの姿、
貧富の差を目の当たりにした彼の目から見た世界そのものだったのだと思います。
私は彼が周りにバッシングされた時しれっと言う
「だから?」
と言うセリフと話の流れが私は好きです。
自分の考えがユートピア的だと捉えられても、「クソな世界」を変えるには善意・厚意が必要だという強い意志が感じられるからです。
「自分にできることをやり、世界が変わるところをみたい」
と一生懸命に動くことトレバーが常に完璧ではないけれど何かを成すためにまずやってみる姿勢がいいなと思いました。
さて、彼自身も3人の人に『ペイ・フォワード』をしていきます。
1人目は麻薬中毒のホームレスの男性。
2人目は今回の課題を出した社会科担任のユージーン・シモネット先生。
そして3人目は上級生に目をつけられている同級生。
1人目の麻薬中毒の男性に、食事とシャワーそしてトレバーのお小遣いから服を買わせて職に就く所まで面倒を見ます。そしてホームレスの人が住んでいる場所を訪ねるのですが彼は家から出てこなくホームレスの男性はまた元の麻薬中毒者に戻ってしまい『ペイ・フォワード』を他の人に与えず、失敗しました。
そして2人目のシモネット先生。
私はシモネット先生をめぐる『ペイ・フォワード』が一番考えるところが多く、傷ついてトラウマになっている人たちの葛藤のシーンが多いです。
ここではこの映画の「許し」「可能」の要素が強く私は自分の中で受け止めきれないのがここなのだろうなということを映画から感じました。
彼は少年の頃に父親に大火傷を負わせられたことにより、人目を気にし、自分の中の殻に閉じこもって孤独を好むようになってしまっている男性です。シモネット先生に対してトレバーはアーリーンとの仲人をすることにしました。
次第に互いは惹かれシモネット先生はトラウマと向き合い始め、自分のルーティンを抜け出しアーリーンとトレバーと新しい生活を築こうとしていました。しかしその矢先に、トレバーの父親の突然の帰宅にアーリーンは揺れ見捨てることが出来ず父親を選びます。
そのことでシモネット先生また自分の殻に篭るようになってしまいます。
アーリーンは自分の間違いに気付きますがシモネット先生に対して申し訳なさから諦めてしまいます。トレバーは必死にシモネット先生に呼びかけますが彼の心は動かず『ペイ・フォワード』は失敗しました。
そして3人目の同級生の男の子に対しては、嫌がらせを止めようと思ったものの上級生に対する恐怖から止めることが出来ず、そばに行ったものの止めるまでには至りませんでした。そして彼が行おうとした『ペイ・フォワード』はすべて失敗したのかのように思われました。
でも、アーリーンがトレバーから『ペイ・フォワード』されたと思い、彼女の行った『ペイ・フォワード』がロサンゼルスまで続き、その動きは広がっていました。
私はここで『ペイ・フォワード』は「意識」してされているものと「無意識」のもの、
またこの映画のテーマの「可能」「許し」の4通りの組み合わせの話だなと思いました。
1つ目の『ペイ・フォワード』は「意識×可能」
2つ目は「意識×可能」
3つ目も「意識×可能」
そしてトレバー自身は意識してはいなかったもののアーリーンに対して「無意識×許し」を行い、
アーリーンは『ペイ・フォワード』をするために自ら距離を置いていたホームレス生活をするアルコール依存症の母親を「意識×許し」の『ペイ・フォワード』しに行きます。そしてその母親の 『ペイ・フォワード』 が記者のいるロサンゼルスまで届き、ラスベガスにいるトレバーまで辿りついたのです。
記者のインタビューの中でトレバーは
「
一生懸命努力したけど僕は出来なかった
ママはできたよ
おばあちゃんとの仲直りは大変だったはずだ
次へ渡せが広まったのはママのお陰だよ
ママは勇気があった
でも中にはとても臆病な人たちもいる
変化が怖いんだ
本当は世界は思ったほどクソじゃない
だけど日々の暮らしに慣れきった人たちは良くない事をなかなか変えられない
だからあきらめる
でもあきらめたらそれは負けなんだ
」
また『ペイ・フォワード』に対してトレバーは
「
すごく難しいことなんだ
周りの人がどういう状況かもっとよく見る努力をしなきゃ
守ってあげるために心の声を聞くんだ
直してあげるチャンスだ
自転車とかじゃなく…“人を”立ち直らせる
」
トレバーのインタビュ―に答える様子を見ていたシモネット先生はアーリーンに思いを伝え二人は結ばれます。つまり、失敗だと思っていたトレバーの『ペイ・フォワード』は成功でした。
しかし、この映画はすべてがハッピーエンドで終わらないのもまた魅力で、取材された後にトレバーが3人目の同級生がまた上級生に嫌がらせを受けるのを見て止めに入ります。トレバー自身の『ペイ・フォワード』は成功したものの揉めている最中に彼は刺され、命を落としてしまいます。
映画のタイトルの『ペイ・フォワード 可能の王国』から考えると彼が死んでしまうというのは少し残念な気もしますが、彼は彼がしてみた『ペイ・フォワード』の成功を一度も見ていません。
別の場面ではヘロイン中毒のホームレスの男性は自殺しようとする女の人を救う場面があります。ここでもトレバーは見ていないけれど『ペイ・フォワード』は成功していたんです。
また映画の中でもトレバーの父親や刺してしまった少年たちが救われていません。
だから全部が全部『ペイ・フォワード』で成功するものはありません。
それこそトレバーが言った
「だから?」
という言葉を使ってもいいかもしれません。
この世界はクソかもしれないけれど『ペイ・フォワード』しながら生きていると思えば少しは見る世界も変わるかもしれないと思います。
私はそんなに強い人間ではないので、人に何かをしてあげることでまた自分も救われると思って意識的に『ペイ・フォワード』してもいいかもしれないと思いました。
傷付いて傷付けてトラウマになるなら
傷付いて傷付けてしまったら「ごめんなさい」、何かをしてもらったら何であろうと「ありがとうございます」と。
許しても許されなくても、嬉しくても嬉しくなくても。